新型コロナウィルスが猛威を振るっています。
私も予定していた講習会がキャンセルとなりました。仕方ないです。
講習会は私自身も毎回勉強する部分が多く、「どう伝えたら選手達は理解しやすいか」、「どういう進め方にしたらいいか」など常に考えさせられます。こういう機会が無くなったのは残念ですが今は最も優先すべきことは安全です。
みなさんも予防に努めましょう。

こんにちは。
八戸市の卓球指導者沼田です。→プロフィール

自己紹介大学編の最終回。
それなりにお酒の失敗もありましたし、プライベートな部分も失敗や楽しかったことたくさんありました。そんなこんなでなんとか卒業までこぎつけたわけです。
今回は大学編最終回なので卓球以外のことも知って頂ければなと思い書いてみました。

卓球王国の名物コーナー「解体新書」

まず私のプライベートを知って頂くにはこのコーナーでしょっ!!
ということで今はなくなってしまいましたが私が学生の時は卓球王国さんでシリーズ化されていて面白かったんです。二人一組になり一人がインタビュアーになりもう一人のことをいろいろ聞きだしていくというものです。私の時のインタビュアーは今となっては義理の兄になった元シチズンの田中満雄先輩でした。二人の掛け合いを見て頂ければ私のプライベートがわかっちゃう!?。(見づらい人は直接聞いてもいいですよ☆)

埼玉県大里郡岡部町での生活

我々が住んでいた岡部町(現:深谷市)で遊ぶことと言えばカラオケとボーリング。(実際ボーリング場は熊谷でしたが。笑)
関東リーグ一部在籍の大学としては珍しく車を持っている学生もたくさんいました。練習後は乗り合わせでボーリングやカラオケに行くわけです。(ちなみに私は卓球は左ですがボーリングは右です。)みんななかなかの腕前ですよ。200点プレーヤーもたくさんいました。気合を入れるときはユニフォーム持参で対抗戦でしたね。

青森のド田舎からでてきた坊主男でもそれなりに大学生活を送っていればにファッションにも興味を持ちます。岡部町から東京まででるのには電車で1時間半ほどかかるので近場の群馬県高崎市に買い物へ行く方が多かったと思います(電車で30分ぐらい)。先輩の車に乗せてもらいよく行ったものです。

大学3年からは寮を出てアパート住まいになりました。夢の一人暮らしです。ご飯は寮で食べていましたが休日や時間のある時などは自分で作っていました。料理や洗濯などはどちらかというと好きな部類なので時間があれば外出しているというよりは部屋の中で過ごしていました。アパートと言っても周りの部屋もほとんど卓球部員なので夜は誰かの部屋に行ってご飯を食べたり、DVDを見たりと寮生活とほとんど変わらない感じでしたね。
大学の目の前がアパートだったので授業と授業の間もすぐにアパートに帰れましたし、授業に遅刻するということもなく立地、価格ともにGoodな住まいでした。

プライベートの時間で欠かせなかったのが「テレビゲーム」です。寮にいるときは何故か私の部屋がゲーム部屋になっていたのでおそらく30代の方ならだれもが知っているであろう「スマブラ」と「マリオテニス」が毎日行われていました。(スマブラの正式名称は調べてみてね☆)ちなみにゲーム機は「任天堂64」。最近思い出して押し入れから引っ張り出してみましたが普通に動くというね。一人の時はもっぱらRPG。当時はひたすらに「FFX(ファイナルファンタジー10)」。このゲームをしている時間を練習に費やしていたらと思うと・・・
息抜きも必要だったということにしておきます。

リーグ戦後の打ち上げは寮での「バップ会」

「関東リーグ戦」はある意味インカレよりも盛り上がり、かつ力が入る大会かもしれません。インカレは全国各地で開催されますので部員全員が応援に行くのは難しい為総勢60人程の部員が一堂に集まり試合をするというのはこの関東リーグ戦のみになります。その為60人ぐらいの男たちが叫んで試合をするわけですからとても熱い試合になるわけです。
我々の時の会場は原宿駅にある関東リーグ戦の聖地:代々木第二体育館でした。月曜に始まり金曜日まで毎日1試合、合計5試合を戦い抜きます。わが大学は都内から電車で往復するとかなりの時間を要していたのでベンチ入りしているメンバーの15人はホテル、それ以外の選手達はタマスさんに宿泊させて頂いておりました。
試合は二部校が午前、一部校が午後と決まっていましたので午前中はタマスさんの道場で練習をさせて頂いておりました。

リーグ戦が終了したらほとんどの大学は打ち上げを行っています。同じ大学で男子部・女子部がある場合は一緒にお店を貸し切って行うようですが男子しかいないわが大学はひとまずまっすぐ岡部へ帰ります。(一部部員は都内の闇に消えていたような気がしますが・・・)そして打ち上げは寮の大広間で始まります。通称「バップ会」。いまだにこの打ち上げでしか飲んだことがない「俺とお前と大五郎~♪」の歌で有名な『大五郎』。これを何本買ってきてたでしょうか。割ったり、ロックで飲んだりと。「バップ会」というだけあってここでは申し上げれませんがなかなか厳しいルールの下行われていました(汗)。懐かしい。
この会のお陰で逃げずに戦う事、覚悟を決める事を学ばせてもらいました(笑)。

母校へ教育実習

春のリーグ戦が終わった5月中旬ころから母校の東奥学園高校で教育実習に行きました。
大学での専攻は「情報」「公民」でしたが実習では「公民」をすることになりました。
緊張しながら久しぶりの母校に通いました。期間は二週間ほどだったでしょうか。
まぁこんな容姿なので高校生達は完全にナメているわけですよ(笑)
教育実習生なので先生ではありませんが高校生からすれば先生どころか大学生の友達がきた感覚。それでも生徒の方からたくさん話しかけてくれたので和やかに進めることができました。無事教員免許を取得することができました。

最終学年にして長期離脱

大学へ入学後は大きな怪我もなく過ごせていましたが最終学年になりとうとうその時が来てしまいました。春のリーグ戦は自分自身も単複10戦を戦い7勝することができチームも2位になることができましたが後半戦は肘の痛みがありながら試合をしていました。リーグ戦後は教育実習がありちょうどいい休養期間だと思っていましたが一向に良くなりません。診断結果は俗にいう「テニス肘」というやつでした。ある決まった動きや衝撃に対して痛みがでます。私の場合はバックハンドやバックでのブロックなどバック系の技術を行う際に痛みが伴いました。自己紹介5-3にも書きましたがバックハンド向上のため、これまでにないくらいバックハンドの練習をしてきたせいもあるのでしょう。この期間は打球練習よりもリハビリと言う名のトレーニングが中心でした。痛み止めの注射や薬を飲みながら試合をしましたがなかなか思うような練習ができていなかったこともありそれ以降のインカレ、関東学生、秋のリーグ戦、全日学では思うような成績が出せませんでした。それでも大学最後の秋のリーグ戦ではダブルスで2度目の優秀ペア賞を取り、チームとしても埼玉工業大学初の通年でのAクラス入りを果たせて有終の美を飾ることができました。

箱根へ卒業旅行

卒業旅行は箱根へ行ってきました。大型の車をみんなで代わる代わる運転をして寄り道ばかりで予定があってないような旅でした。大きいお風呂に入り、美味しい料理を食べて、お酒を飲んで同級生達と楽しい時間を過ごしました。その後は朝までトランプ・・・。負けず嫌いがいるとこれだから困りますね・・・帰りの車内でも寝てればいいものを箱根から埼玉までテンション下がらず・・・
縁あって集まった同級生達。楽しい4年間をありがとう☆

左から3番目が私


いろいろな経緯があって埼玉工業大学へ進学致しましたが、本当にたくさんの経験ができましたし、たくさんの方と出会う事ができました。大学時代に出会った方々とは今でも繋がりがある方も多く今の沼田勝を作り上げていると言っても過言ではありません。
自分が行った学校や会社で将来が決まるという事ではなく行った先で全力で頑張ることが将来の自分を作るのではないかと思っています。
この春から進学、就職する方もいると思いますが 環境のせいにすることなくその場その場で自分が出来ることを精一杯やることで見えてくるものがあると思うので是非、毎日を全力で過ごしてほしいと思います。


【関連ブログ】
自己紹介4-1 高校編(1年時)
自己紹介4-2 高校編(2年時)
自己紹介4-3 高校編(3年時)
自己紹介5-1 大学編~埼玉工業大学とは~
自己紹介5-2 大学編~地元埼玉国体にて~
自己紹介5-3 大学編~卓球王国中国へ~