新年度になりました。
そして新元号も決まりましたね。
また新たな気持ちで頑張っていきたいものです。
今年度もどうぞよろしくお願い致します。
八戸市出身の卓球指導者沼田です。→プロフィール

本日は自己紹介第三回目。中学から高校編です。

小学校を卒業した私は地元の白銀中学校(しろがねと読みます)へと進学しました。
既に姉が先に在籍していたので比較的入学当初から先輩達には可愛がってもらってました。
小学校までそろばん・習字・スイミングなど習い事に通っていましたが全て辞めて本格的に卓球に力を入れることにしました。基本的には部活動をした後にクラブでの練習という毎日で、シチズンでも活躍された田中満雄さんと同じクラブでやっていました。

中学になるとカデットや新人戦のように小さい枠組みはありますが小学校からあった各カテゴリーという枠がなくなり1年生から3年生まで一緒に試合をすることになります。入学時の身長が135cmと今聞いても「どんだけ小さいねーん」って感じですがそれでもカデット13歳以下で県大会で初めて優勝することができました。決勝は愛工大名電ー愛工大に行った齋藤君だったのでかなりの身長差だったと思います。

中学2年になると青森山田高校の付属中なる「青森南中学校」に坂本・高木和・原・木村・村守と当時のエリート集団が転校してきました。当時はまだ青森山田中学校はありませんでしたから普通の公立中学校に転校してきたわけです。現在は愛工大名電・野田学園・四天王寺・横浜隼人など中高一貫校体制で中学生と高校生が一緒に練習をしてそのまま高校へ進学するという体制を取っている学校が全国上位を占めておりますが当時は中高一貫体制がそこまで実力を発揮しておらず進学するであろう高校の近隣の公立中学校へ転校し高校生と一緒に練習をするという感じでした。中学の頃から高校生とボールを打ち合うことはそれだけで強くなる確率がグッと上がります。昨今の卓球界はカテゴリーの枠を超えて小学生から大学生・一般までが同じに練習する体制が増えてきています。これが今の日本の子供たちの実力を上げているんですね。
その時私はと言うと・・・県大会でもそれならに上位に名を連ねてきた私ですが県内の大会で高木和さんや木村さんと試合をすれば当然のようにスコられるわけです。(卓球界ではコテンパンにやられるという意味)相手は全国に名を連ねる選手ですからね。せめてもの救いは同学年は村守君一人だけだったということです。これが何人も青森に押し寄せて来ていたら私は将来に絶望して卓球を辞めていたでしょう。

それでも中学3年になり全中の青森県予選で2位、東北予選で3位になり初めて全中に出場することができました。(先の村守君は推薦の為予選は不出場で本大会では優勝でした。)それなりに結果がでるようになり県下でも強豪の東奥学園高校(昔は東奥女子高校という名称で日本代表を何名も輩出してきた有名校)に声をかけて頂き進学することになりました。同じ県内に日本一の青森山田高校がある為インターハイなどの全国大会に出場できる確率は他の県よりも絶対的に低いですがそれでも一学年上にいた田中満雄先輩の王者にもひるまず立ち向かっていく姿を見て、自分も挑戦したいという気持ちが強くなり進学を決めました。ちなみにその頃青森山田高校はインターハイで4連覇中で私が入学してからも6連覇まで数字を伸ばしていました。

自分で望んでいった高校ではありましたが厳しい練習が待っていたことはこの時はまだわかっていませんでした。
                          高校から大学編へ続く


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