先日テレビを見ていたら地球温暖化などの環境問題について活動してる16歳の女の子、グレタさんの特集をしていました。自分の年齢の半分にも満たない女の子が大人相手に声を上げているという映像を見て、凄いと思うと同時に自分の行動力の無さを恥ずかしく思いました。
今年の自分のテーマは「まずやってみる」でしたがまだまだ手抜きしていることを感じさせられました。
明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学ぼう

こんにちは。
八戸市の卓球指導者沼田です。→プロフィール

自己紹介シリーズ、大学編パート②です。

大学は各地区リーグ戦、全日本大学総合卓球選手権(団体の部/通称インカレ)、(個人の部/通称全日学)が主要大会と位置付けられています。その他にも各地区学生選手権、 全日本学生選抜(留学生が出場できる大会)、大学というカテゴリーを除くと国民体育大会(通称/国体、以下国体)、全日本卓球選手権など卓球界は年間通して数多くの試合があります。
ほとんどの試合は本戦への出場権を獲得する為に予選会をし、あらかじめ決められている人数が代表となり本大会を戦うという流れになります。私も埼玉の予選を勝ち抜き様々な大会へ出場してきました。その中に於いて特に「国体」は思い入れが強い大会となっています。

国体初出場

そもそも国体とは各都道府県代表として所属先の垣根を越えてチームを組み戦う試合です。中学校3年生から高校生に出場件がある「少年の部」と、大学生以上で構成される「成年の部」の2つのカテゴリーに分けられます。
高校時代は県下に青森山田高校という全国の主要大会を何連覇もしている学校がありましたので国体は無縁の試合でした。大学に入り、初めて出場することになるのですがそこに至るまでにも様々な出来事がありました。

まず私が入学をした年の国体は地元埼玉県が開催県。開催県のほとんどは天皇杯(男女総合成績1位)、皇后杯(女子総合成績1位)獲得を目標にします。その為強力な選手を起用し、優勝を取りに行く場合がほとんどです。埼玉県も例にもれず全日本ダブルス準優勝、プロ選手として活躍した「矢島淑雄さん」、高校生にして日本代表として戦った「平亮太さん」、埼玉工業大学OBでリーグ戦で特別賞を受賞している「張凱さん」という布陣で出場予定でした。しかし試合直前になり「張さんのお父さんが体調を崩した」ということで祖国の中国に帰ることになったのです。その為当時補欠だった私は急遽繰り上げで試合に出場することになったのです。

国体初出場が地元開催・・・

「試合の雰囲気も分からない」、「補欠と言えど出番はないと思っていたので気持ちの準備もしていない」、「実力的に場違い」、などマイナスな要素しかでてきませんでした。
※当時の私は試合に対する準備能力がなく選手として失格でした。

事件は競技初日、試合終了後に起きた

先輩方、スタッフの方々になんとか引っ張ってもらい国体に挑んでいたわけですが、事件は初日の試合終了後に起こりました。試合を終え、晩御飯を食べに向かっている車内で猛烈な腹痛に襲われたのです。車から降りることもできないくらいでそのまま病院へ直行。診断結果は

「急性胃腸炎」

点滴を受けてとりあえずその日は宿舎に戻りました。次の日はベスト8がかかる大事な一戦。既に選手の登録をしているので選手変更はできません。自分が出るしかない状況。

対するは全日本ランカー(全日本選手権ベスト16以上の選手の呼称)を要する岡山県。点滴明けの私はトップで早速前年の全日本ランカーと対戦。セットオールの9本というギリギリの試合をものにすることができ結果3対2で翌年開催県の岡山県に勝利しました。(周りからは「前日の点滴は一種のドーピングだ」なんて揶揄されました)
次戦の兵庫戦もラストまでもつれ5番にオーダーされた私は緊張の中試合をしました。記憶にある限り広い体育館の中、私のこの1試合だけが行われていたと思います。1セット目をなんと0点で勝つというなんともな展開・・・(10対0だったのでミスをしてもいいやと思い思い切って振ったボールが逆にとんでもないカウンターになってしまった1本)
2セットは0対6という1セット目とは逆の展開。しかしながら最終的に3対0で勝つことができ準決勝にコマを進め優勝候補の東京に結果0対3で敗れはしましたが3位入賞という成績を残すことができました。

初めてサインを求められる!!

3位入賞すると試合を見に来ている子供達にサインを求められるわけです。地元代表ということもありそこそこ目立っていたのでしょう。しかし青森の田舎からでてきて半年の小僧にそんなカッコイイサインなんてあるはずもなく。そもそもサインをお願いされると思っていないですからね。
それでも書きました。渾身のサインを。誰が見てもわかるであろうサインを。

「沼田勝」

と。今このサインを持っている人はプレミアですよ(笑)

矢島さん、平さんのような日本のトップを走ってきた先輩と常に行動を共にして、地元開催の国体を戦い抜けたことは間違いなく私の卓球人生においてのターニングポイントになっています。
国体の後に行われた全日本大学総合卓球選手権(通称・全日学)では全日本ランカーに勝ち全国大会で初めてランク入りすることができました。また秋季関東リーグ戦でも他大学のエース格にも勝つことができ、卓球人生の中でも最も自信がついた1年になりました。


ちなみにこの国体が始まる前の地元新聞には「少年男子は~~、女子は~~、優勝候補の成年女子は~~」といろいろ書かれていた所、我ら成年男子はというと
「成年男子は現地入りした。」
・・・・・・
この記事を宿舎で見た成年男子チームに火がついたのは言うまでもありません。笑


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